備忘録(その3)。
母の死亡が確定してからの動きはあっという間だった。
父が近所の知り合いの葬儀屋さんに連絡して、通夜と告別式の日程を決め、母の遺体は病理解剖後に家に一度帰すことになった。
私は葬儀の日程が決まった時点で、会社、マンドリンクラブの同期、後輩などへ連絡した。マンクラの友人には母の病気のことは一切話していなかったので、驚いた人も多かったのではないかと思う。
ちなみにこの話をしなかったのは「周りに心配されたくなかったから」。
「母がガンなんだ」と言われても、言われた側はどうしようもないし、それなら言わないでおいた方がいいと判断したわけである。
午後になって病理解剖が終わり、病院(の中の霊安室)から遺体を運び出すことになった。
霊安室には看護師さん達が大勢いて、母の遺体にみんなが一礼して涙を流してくれた。病院の看護師さん達には本当にお世話になったなあ・・・。
そして母の遺体が家に到着。
すぐに葬儀屋さんが祭壇を作り、母の遺体に腐食防止のドライアイスを巻きつけてくれた。
こんな形ではあるが、家に帰ってくることができてよかったのかな、なんてことは思った。
ただ、そんな感傷に浸る暇も無く、すぐに2日後からの葬儀の打ち合わせを始めた。
祭壇の規模、香典返し、母の写真、葬儀での受付などなど、決めることが多くて大変だった。
でも、そのあたりは葬儀屋さんが事細かに教えてくれたおかげでだいぶ助かった。ご近所さんなので、こちらの事情もわかってくれてたし。
結局、そこそこ盛大な葬儀を行うことで決定した。後述するが、多くの人が来るのが確定していたので。
翌日(=通夜前日)は、葬儀の詳細を伝えに出社したり(午前中のみ)、広島などから出てきた母の姉妹弟と葬儀の打ち合わせをしたぐらいで特に何も無い一日。
会社ではお悔やみの言葉を頂いたり、「出社して大丈夫なの?」とか言われたり。
正直、家にいるよりは気が紛れました。そんなものです。
そして、通夜の日を迎える。
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