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エアグルーヴ死す。

夜はナビスコ杯予選リーグ、東京vs大分だったが結果は0-0のドロー。
まあ、それはこの際どうでもいい。

それよりも大事なニュースを先ほど知った。

「エアグルーヴ号が死亡」

1996年のオークス、1997年の天皇賞(秋)を制し、1997年の年度代表馬にも選出されたエアグルーヴ(以下「グルーヴ」表記とします)が昨日死亡した。キングカメハメハとの牡馬を出産した直後の内出血が原因らしい。
年齢は20歳で、まあ寿命を全うした、と言ってもいいかもしれない。

グルーヴは、今までの私の競馬人生の中で最も好きな馬だった。

私が元々トニービン産駒が好きというのもあったが、1995年のいちょうS(2歳オープン特別)で致命的な不利を受けながら差し切った姿に一発で惚れた。
同年の阪神3歳牝馬Sでビワハイジに逃げ切られた時は「キネーン(グルーヴの鞍上)は死んだ方がいい」とマジで思った(笑)。ちなみにこれ以降、今でもキネーンは恨んでます(笑)。

翌年のチューリップ賞を圧勝し、桜花賞を熱発で回避するもオークスで完勝。この単勝2.5倍はかなり美味しく感じた。
しかし、秋の秋華賞は惨敗、そして骨折で休養・・・。この時は結構ヘコみました。

しかし翌年復帰し、重賞2連勝で臨んだ天皇賞(秋)。
1番人気こそ前年の覇者・バブルガムフェローに譲ったが、私は「グルーヴなら勝てる」と信じていた。そして大学時代の先輩・後輩達と府中へ見に行き、グルーヴの単勝1万円を購入してレースを見守った。
グルーヴが最後の直線でバブルを捕らえて先頭に立ってからは、ひたすらに叫び続けた。
その甲斐あってか、グルーヴは素晴らしい勝負根性を見せてバブルとの叩き合いを制した。
レース後に、感極まって号泣したのは今でも覚えている。この最後の直線の叩き合いは、今見ても涙腺が緩みます。

その後はG1こそ勝てなかったが、牡馬相手にG1で好走を続ける姿(まあ、牝馬相手に負けたこともあったが)には応援せずにはいられない何かがあった。
近年になって「中長距離で牡馬相手に好走する牝馬」は増えた(ウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナなど)が、当時は「中長距離では牝馬は牡馬に敵わない」というのが定説だったので、そんな中で牡馬と渡り合ったグルーヴに惹かれたのかもしれない。

母馬になってからの産駒は、正直言うとそんなに応援していない。
POGで毎回圧倒的な人気になるから取れなかった、というのが大きい(笑)。

まあ、それはさておき、競走馬としてG1を2勝、母馬としてもG1勝ち馬を2頭(アドマイヤグルーヴとルーラーシップ)輩出したというのは素晴らしい実績である。
まさに「一時代を築いた名牝」だった。

安らかに眠って下さい。
合掌。

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