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トウカイテイオー死亡に思う。(第2回)

今日は「宮崎駿 引退」というニュースが報じられたぐらいで特に何も無い一日。
宮崎監督作品は「カリオストロの城」「ナウシカ」「ラピュタ」「魔女の宅急便」「紅の豚」あたりまでは好きだったが、「もののけ姫」以降は爽快感が感じられない&気持ち悪い描写が増えて「2回見ようとは思わない」作品ばかりだった。
まあ、ひとまずはお疲れ様でしたということで。

というわけで昨日の続きを。

トウカイテイオー(以下「テイオー」)が復帰したのは1992年の大阪杯。
前年のダービー以来、骨折からの10ヶ月の休み明けにもかかわらず「テイオーはこんなところでは負けない」的な雰囲気だったのにムカつき、そして前年に応援していたイブキマイカグラ(以下「カグラ」)が出走することもあり、当然のようにカグラを応援した。

テイオー、持ったままで楽勝。ちなみにカグラは7着。

正直、「うわ、これは強いわ・・・」と思った。
着差こそ1.5馬身ほどだったが、ムチも使わないでの勝利というのが“余裕綽々”感でいっぱいだった。
というわけで、テイオーはデビューから無傷の7連勝となり、「このまま無敗の天皇賞馬誕生なるか!」というムードになった。

その天皇賞(春)には前年の勝ち馬メジロマックイーン(以下「マック」)も出走を予定していた。
しかしマックは前年の秋~冬は、天皇賞(秋)で1位入線後降着→ジャパンカップで斬れ負けして4着→有馬記念でダイユウサクの強襲を食らって2着と、「底が見えた」「テイオーの敵じゃない」的な扱いになっていた。

私にしてみれば「ふざけんな」的な気持ちだった。
前年の天皇賞(春)で単勝をかなり厚めに勝って的中した恩もあるし、「京都の3200mなら絶対マックは負けない」という思いもあった。

天皇賞の前はテイオーの主戦・岡部が「テイオーは地の果てまで走りそう」と言えば、マックの主戦・武豊は「マックは天まで昇りますよ」と切り返す。結果、“世紀の一戦”と言われるほどになり、レースを盛り上げた。
余談だが、こういうやり取りでレースを盛り上げるというのがこの頃の競馬にはあった気がする。
競馬がマスコミで取り上げられまくる時代だったというのもあるが、今の競馬界でこういう気の利いたコメントを出せる関係者が減ったというのもあるかもしれない。少なくとも、岩田にはこういう切り返しは無理だろう(笑)。

結局、天皇賞はマックが完勝し、テイオーは5着に敗れた。ついでに、カグラが3着だった(笑)。

このマックの勝利は本当に嬉しかった。応援していた馬が大嫌いな人気馬をぶちのめすという、最高のシチュエーションだった。
このマックの勝利で「テイオーが敗れるシーンを見る」ということが達成でき、ひとまずは満足したのであった。

今日はここまで。
次回は92年秋、天皇賞(秋)~ジャパンカップ~有馬記念(1回目)の思い出を書きます。

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