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トウカイテイオー死亡に思う。(第1回)

今日は彼女の友人との顔合わせをしたり、結婚指輪を受け取りに行ったり。
順調にやることはやってます。

では、昨日書けなかった話。

1991~93年でG1を4勝したトウカイテイオーが死亡した。
4勝の内訳は91年に皐月賞&ダービー、92年にジャパンカップ、そして93年に有馬記念。
それだけ書くと「超がつくほどの名馬」というわけではないが、ドラマ性に関して言えば歴代最高レベルの名馬だったと思う。
余談だが、“あの有馬記念”ってもう20年前なんだな・・・。

さて、私はこのトウカイテイオーが大嫌いだった。
(以下「テイオー」表記とします。私の中では「テイオー」と言えばトウカイテイオーです。)

皐月賞直前、「無敗の三冠馬である“皇帝”シンボリルドルフを父に持つ良血」として騒がれていたテイオーだったが、「けっ、たかがオープン特別で勝ってきただけじゃねえか、そんなもんイブキマイカグラ(前走の弥生賞で2歳王者リンドシェーバーを負かした実力馬。以下「カグラ」表記とします)の敵じゃねえや」ぐらいに思っていた。

皐月賞、トウカイテイオー完勝。ちなみにカグラは4着。

い、いや、長い直線のダービーならカグラの末脚で差し切れるよ、と思ったら、カグラはNHK杯(当時はダービートライアル)1着後に骨折・・・。
そしてダービーはテイオーが3馬身差の楽勝。難なく二冠を達成した。
その「好位から抜け出ての完勝っぷり」に、なんかすっごくムカつくものを感じ(笑)、気がついたらテイオーが大嫌いになっていた。「カグラのいないとこで勝っただけじゃねえか」と思っていた、というのもあるかもしれない。

しかし、その後テイオーの骨折が発覚。

テイオーは翌年の春までの休養を余儀なくされる。
「テイオー嫌い」となった私にとっても、そのモヤモヤを晴らすために翌年の春まで待つことになった。

・・・今日はここまで。
ちなみにあと3回書きます(笑)。この後「天皇賞(春)編」「ジャパンカップ編」「最後の有馬記念編」と続きます。

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