今更ながらマンハッタンカフェ死亡に思う。
今日知ってめちゃくちゃ驚いた昨日のニュース。
2001年の菊花賞、有馬記念、2002年の天皇賞(春)を制したマンハッタンカフェが13日(木)に死亡した。17歳だった。
私はマンハッタンカフェのことは、「カフェ」と言っていたので以下は「カフェ」表記とします。
この馬の馬主の西川清氏の馬は「カフェ」の冠がつくので、「カフェ表記じゃわからねえじゃねえか」というツッコミはごもっともなのだが無視します。
カフェを初めて知ったのは2001年の菊花賞。
この菊花賞はダービー1・2着のジャングルポケットとダンツフレームが1・2番人気、これに札幌記念&神戸新聞杯を制したエアアミネムが3番人気だった。
カフェは札幌で2600mの500万下~1000万下を連勝したこともあって、6番人気と穴馬として評価されていた。
で、レースはマイネルデスポット(2着/11番人気)が大逃げを打って逃げ込もうとするところをカフェが一気に差し切った。
ちなみに、グリーンチャンネルの生中継ではカフェをエアエミネム(3着)とず~~~っと勘違いしていて、ゴールした瞬間は「エアエミネム優勝」と言った・・・はず。どちらかというと、この菊花賞は「実況間違いがあったレース」としての印象が強い(笑)。
その次走の有馬記念では、前年に年間無敗を成し遂げたテイエムオペラオー(5着)らを一蹴。
この年の9月11日にアメリカ同時多発テロが起きたのだが、1着に“マンハッタン”カフェ、2着に“アメリカン”ボスが入り、「テロ馬券か~」と不謹慎なことを言った輩は多かった(笑)。
翌年は休み明けの日経賞こそ着外に沈んだが、天皇賞(春)ではジャングルポケット、ナリタトップロードを打ち負かしてG1・3勝目。
この時点では紛れもない「日本最強馬」だった。
その後、凱旋門賞に直行するが、レース中に屈腱炎を発症し、惨敗に終わる・・・。
そしてそのまま現役引退。結局、底の見えないままの馬だった、という印象である。
もしも海外遠征しないで、秋も日本で走っていたらどうなっていたのだろうか。
シンボリクリスエス(3歳)vsマンハッタンカフェ(4歳)だったわけだが、かなりの名勝負になっていたと思われる。
種牡馬になってからは、レッドディザイア、ヒルノダムールなどのG1馬を輩出。種牡馬としても一流の成績を残している。
個人的に大好きなガルボもカフェ産駒。カフェ産駒は、ディープ産駒と違って地味な血統が多く、あまり人気にならないので、結構おいしい馬券にありつけていた気がする。
そんな感じの、私が競馬にハマっていた頃の思い出の名馬でした。
合掌。
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