Fさんの話。
昨日書こうと思って書けなかった話。
先日、「大学の同期の女性のFさんが結婚した」という話を書いた。
昨日(木曜日)の深夜、別の同期の女性からLINEが入っていたことに気付き、読んでみると
Fさんが先週の26日に永眠しました。
と書いてあった。
意味がわからなかった。信じられなかった。
LINEのその後を読むと「結婚式の1ヶ月前に血栓から子宮癌が見つかり、肝臓にも転移していてステージ4だった。抗がん剤もあまり効かず、血栓が取れないことから手術もできなかった」とのことだった。
そんな酷い話あるかよ・・・。
その後はよく覚えていない。頭が混乱する中、なかなか寝付けなかった。
翌朝、出勤中に突然涙が堪え切れなくなって田端駅のホームで号泣した。
この日の仕事は、「ものすごい量の単純作業を定時までに終わらせる」ということを突発で頼まれ、ひたすらそれに没頭。仕事の間は忘れられたという意味では助けられた。
夜、ひと通り家事を終えて、大学のマンドリンクラブの同期男性(女性陣は既に知っていた)、後輩達に連絡。
後輩達への連絡は今朝や昼にも行う。後輩達から悲しみの返信を貰うたびにこちらも心が痛くなる。
午後になり、Fさんのお母様からお別れ会を3日(日)に行うとの連絡を受ける。
一応、同期だけで行くことになると思われる。
で、現在に至る。
Fさんを初めて見たのはもちろん大学1年生の4月で、「美人だな~」と思った。
1浪していることもあってか、他の同期の女性(現役生が多かった)よりは大人びた雰囲気だった。
でもツンツンした感じは無く、とても話しやすかった。
楽器の腕は1年生の頃から確かだった。
私もそれなりには弾ける方だったので、よく二人で合わせていた。
「ライバル」というのとは少し違うが、彼女に負けないように頑張ろうと思える存在だった。
3年生の時、彼女から「クラブ辞めようと思う」と相談を受けた。
練習の後、大学の近くの居酒屋へ二人で行き、私は涙を流しながら「辞められたら寂しい」と伝えた。
その涙のおかげか、彼女はその後もクラブを続けた。
4年生の冬の定期演奏会。
第3部(3部構成のラスト)で、私と彼女は隣に並んで弾くことになった。
本番前、「君が(実際には名前で呼ばれてます)あの時引き止めてくれなかったら、こうして並ぶことも無かったんだよね。ありがとう。」と言われた。
卒業してからは会う機会も減った。
そんな中、私の母親が他界した。
彼女は葬儀に足を運んでくれた。
後日「苦しいだろうけど、頑張れ」とメッセージカードを送ってくれた。
結局、この葬儀の時が彼女と会った最後になった。
彼女のことが「好き」だったか、と言われるともちろん「好き」だったわけだが、でもそれは「恋」ではなかった。
一番しっくりくるのは「お互いを支えあう『仲間』」という言葉だと思う。
本来であればお互いがじいさんばあさんになるまで「仲間」であり続けたであろう友人を、こんな形で急に失うというのはあまりに辛い。
・・・辛いのだけど、いつまでもそうは言っていられない。
昨日同期の女性にも書いた話だが、先に逝かれてしまって残された我々は、結局のところ彼女には何もできない。
なので「今日という一日は、彼女が生きたかった一日なんだ」と思い、後悔しないように生きる、それしかないと思う。
それが私なりの供養です。
そんな感じの、激動の2日間でした。
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